神様になった床屋の開祖 下関で床屋を開いた藤原采女介政之

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髪の毛をカットしたり剃ったりして容姿を整える床屋の仕事(理容業)は、紀元前からあったと言われています。

史料が残っている有名な話では、紀元前500年頃に仏教を開いたお釈迦様の弟子であるウパーリ(優波離)という方の職業が理容師だったと言われています。ウパーリは奴隷階級出身でしたが、仏弟子になってから戒律をよく暗記して守り、持律第一と言われるようになり、釈迦の十大弟子となり、お釈迦様が入滅された後の仏典編纂の中心人物の1人としても活躍し、後世の人々から非常に尊敬されています。理容師を長年やって職人気質になってくると、何でもキッチリしないと気がすまなくなるので、そういう理容業で培った性格がお釈迦様の教団での出世に役立ったのでしょうかね?

更に昔の紀元前3500年頃、青銅器時代の地層から剃刀(カミソリ)が発見されたらしく、この頃から髪を整える仕事があったのではないかとも言わています。ただ、この頃は貨幣経済がまだ発明されていなかった筈なので、「髪の毛カットで○○円」とかではなく、手が器用で他の人より美的感覚が優れた人が「貴方の髪の毛を綺麗にしてあげるから、お宅の畑の野菜をもらえませんか?」的な感じでやっていたのかもしれませんね。

江戸時代の床屋

※江戸時代(1850年)の床屋の写真(ウィキメディア・コモンズより画像転載)

日本においては、床屋の起源に関する史料が残っており、鎌倉時代に下関において大陸からの技術を学んだ藤原采女介政之(ふじわらうねめのすけまさゆき)が開いたお店が床屋の起源だと言われています。当時はまだ、男性用の理容室と女性用の美容室というようには分かれていなかったので、この床屋が理容業と美容業の両方を合わせた理美容業の始まりと言われています。

藤原采女介政之は、大化の改新でお馴染みの藤原鎌足の子孫で、京都御所でお勤めされていた父親が大切な宝刀をなくしてしまって、それを探し出すための旅に出かけることになり、その旅に采女介政之も同行し、たどり着いた下関で髪結い所を開きました。藤原采女介政之は信仰深い方だったようで、髪結所の床の間に当時の天皇である亀山天皇を祀った祭壇を安置し、藤原家の掛け軸も掛けていました。それが常連のお客さん達の間で印象的だったため、藤原采女介政之のお店を「床屋」と呼ぶようになり、それが「床屋」の語源になりました。藤原采女介政之はその後鎌倉に戻り、幕府に功績が認められて爵位を賜っています。

ここでプチトリビアをご紹介しますと、この「床屋」という言葉は「放送禁止用語」になっているそうです。解説すると長くなるので、詳しく知りたい方はこちらからどうぞ。

実は、この床屋の語源にはもう1説あり、「江戸時代に移動式の『床』を設けて髪結いをしていたことから『髪結い床』→『床屋』になった」と言われています。この説を載せてる国語辞典もあります。

藤原采女介政之の説と、江戸時代の説の2説があるのですが、本日、この論争に本ブログで勝手に決着をつけてしまいたいと思います。

江戸時代には、おそらく移動式の「床」を設けて商売していたお店は髪結い屋さん以外にも数多くあったはずで、髪結い屋さんだけが床屋と呼ばれたという説は腑に落ちません。ですので、これは間違った邪説と判定させて頂きます。藤原采女介政之の説は、全国47都道府県の理容組合を束ねる「全理連」という全床屋のボス団体がこの説を採用して、ホームページでも紹介しています。「床屋自身が言っているのだから間違いない」ということで、藤原采女介政之の説の勝ちとさせて頂きます。

多少強引ですが。^^)

ということで、床屋の開祖となった藤原采女介政之ですが、没後約700年後の現代において、京都にある神社で御祭神として祀られ、「髪の毛の神様」として理美容業界の人たちを中心に信仰されているのです。

髪の毛の神様の御髪神社 アートネイチャー玉垣

神社名は、御髪神社(みかみじんじゃ)。※御髪神社HPより画像転載

玉垣にアートネイチャーさんやカネボウさん、リーブ21さんの名前もあり、発毛育毛関連の会社も奉納をしていることが分かります。

参拝者のお願いごとや感謝を書いて奉納する「絵馬」には、『最高の美容師になる!』とか『お客様を幸せにする美容師になる!』といった内容が書かれていて、理美容関連の方々が参拝に来られていることが分かるのですが、中にはネタなのか本物なのか不明ですが、こんな絵馬が結ばれてました。

御髪神社のモト冬樹の絵馬

※Twitterより画像転載

「髪の毛が少しでも残りますように」モト冬樹

ご本人が書かれたのでしょうかね?!?!

藤原采女介政之は床屋さんなので、「立派な理容師になりたい!」とご指導を賜ることを願うのは合ってる気がしますが、発毛育毛のお願いをされても困ってしまうのではないかという気がしないでもないですが…^^;)でも床屋さんなら人々の髪の毛が美しく健康に育つことを願っている筈なので、もしかすると御利益があるかもしれませんね。

藤原采女介政之

藤原采女介政之

※画像は全理連HPより転載

最後に、知ってても役には立たたないかもしれない2つ目のトリビアを。

「この店長ブログを書いている私岩佐は、日本にいた時、一時期アートネイチャー下関店の理容師として働いていました。」

下関が床屋発祥の地であることは後から知ったのですが、藤原采女介政之ゆかりの地で働いてたと知って、何だか嬉しくなりました。^^)

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